領解の心中

一 「「弥陀大悲のむねのうちに、かの常没の衆生、みちみちたる」(安心決定鈔)といえること、不審にそうろう」と、福田寺もうしあげられそうろう。仰せに、「仏心の蓮華は、むねにこそひらくべけれ、はらにあるべきや。「弥陀の身心の功徳、法界衆生の身のうち、こころのそこに、いりみつ」(安心決定鈔)ともあり。しかれば、ただ、領解の心中をさしてのことなり」と、仰せそうらいき。ありがたきよし、そうろうなり。

(蓮如上人御一代記聞書9)

 

仏法をどれほど頭で理解、解釈しても

 

この身がうなづくことにはかなわない。

 

この身のうなづきのないものを

 

凡夫と

 

呼ぶのではないか。