御法嘆

6 一 あさの御つとめに、「いつつの不思議をとくなかに」(高僧和讃)より「尽十方の無碍光は 無明のやみをてらしつつ 一念歓喜するひとは かならず滅度にいたらしむ」(同)と候う段のこころを御法嘆のとき、「光明遍照十方世界」(観経)の文のこころと、また、「月かげの いたらぬさとは なけれども ながむるひとの こころにぞすむ」とあるうたをひきよせ、御法嘆候う。なかなか、ありがたさ、もうすばかりなくそうろう。上様御立ちの御あとにて、北殿様(実如)の仰せに、「夜前の御法嘆、今夜の御法嘆とを、ひきあわせて仰せ候う、ありがたさありがたさ、是非におよばず」と、御掟候いて、御落涙の御こと、かぎりなき御ことにそうろう。

(蓮如上人御一代記聞書5)

 

「御法嘆(ごほうたん)」という言葉。

「嘆(たん)」は「なげく」ではなく、「褒め称える」こと。

 

法話は、仏法讃歎に尽きる、と先輩住職から教えられた。

その教えに、感動すること。そこに褒め讃えるということはある。だが、教えに、涙を流すほどの感動をいただけているのか。

讃嘆という言葉に、いつも我が身我が心を問われている。