念称是一ということしらず

「念称是一ということしらず」と、もうしそうろうとき、仰せに、「「おもい、うちにあれば、いろ、ほかにあらわるる」とあり。されば、信をえたる体はすなわち南無阿弥陀仏なりとこころうれば、口もこころもひとつなり。

蓮如上人御一代記聞書5)

 

念とは「おもう」こと。称とは「口に出す」こと。それは2つのことでない、ただ一つのこと。

 

口に出してみることは、その先に何を具現するのか?

その確かめを自己にすることは大事なこと。

忘れられないことなのだ。